サイトのご案内(全肢連)

カテゴリー │会員の皆様へ





全肢連は、肢体不自由児・者の福祉の増進と、自立による社会参加を目的としてさまざまな事業を推進しています。

○ 肢体不自由児・者が、自立更生できるような環境づくりに努めています。
○ 肢体不自由児・者の福祉に関する社会的啓発を進めています。
○ 肢体不自由児・者の福祉に関する調査や研究を行っています。
○ 47都道府県父母の会育成強化のため、知識の普及と助成を行っています。 
○ その他、目的を達成するために必要な事業を行っています。
○ 同じ悩みをもつ父母が集まり、相互の交流をはかり、協力し合いながら常に研鑽に励んでいます。




一般社団法人
全国肢体不自由児者父母の会連合会
(全肢連)概要


代表理事 清水 誠一
結成年月日 1961年11月10日(昭和36年)
支部数 47都道府県

組織について
北海道から沖縄まで、全国47都道府県単位に「肢体不自由児者父母の会」を設置し、その活動の集約と組織的連携をはかるための連合体です。都道府県の傘下には郡・市・町・村に支部もあります。




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    サイトのご案内(全国・守る会)

    カテゴリー │情報




    ご紹介します
    社会福祉法人
    全国重症心身障害児(者)を守る会



    守る会の三原則



    決して争ってはいけない
    争いの中に
    弱いものの生きる場はない


    親個人がいかなる主義主張があっても
    重症児運動に参加する者は
    党派を超えること


    最も弱いものを
    ひとりももれなく守る






    親の憲章(親の心得)


    生き方

    一 
    重症児をはじめ、弱い人びとを
    みんなで守りましょう。

    一 
    限りなき愛をもちつづけ、
    ともに生きましょう。

    一 
    障害のある子どもをかくすことなく、
    わずかな成長をもよろこび、
    親自身の心をみがき、
    健康で豊かな明るい人生をおくりましょう。





    親のつとめ

    一 
    親が健康で若いときは、
    子どもとともに障害を克服し、
    親子の愛のきずなを深めましょう。

    一 
    わが子の心配だけでなく、
    病弱や老齢になった親には暖かい思いやりをもち、
    励まし合う親となりましょう。

    一 
    この子の兄弟姉妹には、
    親がこの子のいのちを尊しとして育てた生き方を
    誇りとして生きるようにしましょう。 



    施設や地域社会とのつながり

    一 
    施設は子どもの人生を豊かにするために存在するものです。
    施設の職員や地域社会の人々とは、互いに立場を尊重し
    手をとり合って子どもを守りましょう。

    一 
    もの言えぬ子どもに代って、
    正しい意見の言える親になりましょう。




    親の運動

    一 
    親もボランティア精神を忘れず、
    子どもに代って奉仕する心と行動を起こしましょう。
    そして、だれでも住みよい社会を作るよう努力しましょう。

    一 
    親の運動に積極的に参加しましょう。
    親の運動は主義や党派に左右されず、
    純粋に子どもの生命の尊さを守っていきましょう。



    https://www.normanet.ne.jp/~ww100092/gensoku.html


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    第十回 小林不二也さんのコラムを紹介します!

    カテゴリー │小林不二也さんのコラム

    静岡新聞のコラム
    「窓辺」 
    文/小林不二也

    重症児者通所施設でらーと




    第十回 
    もっとも弱いものを
    もれなく守る


    この言葉は、重症児(者)を守る会三原則の一つです。日本の重症児(者)福祉の歴史は守る会が切り開いたといっても過言ではない。静岡県の重症児(者)を守る会が4日、結成50周年記念の集いを開催する。50年前、重症児(者)の福祉はとても貧困で、何も無いといっても過言ではなかったのです。この50年間の親たちの取り組みが当時の行政を動かして、今があるのです。
    福祉制度の変遷を学ぶとはっきりわかることがあります。様々な制度やサービスが生まれてきていますが、それらが生まれるまでには、当事者の訴えや運動が先にあったということです。つまり福祉の対象者がしっかりと社会に現状を知らしめたことで、制度化されてきているということです。最初から配慮されているものは無いということです。この50年は日本の民主化が大きく進んだと同時に弱い立場の人にも光が当てられてきた50年でした。「もっとも弱いものをもれなく守る」この原則が民主主義の魂のように感じます。
    たった50年です。今新たに福祉の職場に就き、日々思い悩んでいる仲間にぜひ伝えたいこととして、このたった50年間で大きく進んだ重症児(者)福祉の歴史は、50年前に苦悩を重ねたごく少数の親たちからスタートしている。今の苦悩は必ず明日の福祉につながっていくことを。


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    第九回 小林不二也さんのコラムを紹介します!

    カテゴリー │小林不二也さんのコラム

    静岡新聞のコラム
    「窓辺」 
    文/小林不二也

    重症児者通所施設でらーと




    第九回 
    いのち


    私は先日、とても大切な人を二人亡くした。一人は私の実兄58歳、末期がんでした。もう一人は私が在宅重症心身障害児(者)の支援のきっかけを作ってくれた、重度の障害を持つ、R君22歳でした。まだ二人を亡くした実感はわきませんが、体の中をスーっと冷たい風が通り過ぎたような感覚を覚えたと同時に力が失せていく何とも寂しい気持ちになりました。兄の母親は健在、22歳のR君の両親ももちろん健在です。昔から言われている「逆さを見る」という悲しい形となりました。どちらの葬儀もとても多くの人が最後のお別れをしてくれました。病気や障害と闘いながら最後の最後まで精一杯生きた二人が、平均余命まで生きられたら、どれくらい多くの人と関わり、どれくらい多くの人に影響を与えたかを考えると「生きること」「いのち」の大切さをつくづく感じる。
     統計によると年間3万人近くの人が自ら命を絶っている。さまざまな事情があるのだろうが、一人で生きている人は誰一人居ない。多くの人とのかかわりの中で皆、もがきながら生きている。超重症児と呼ばれる濃厚な医療を必要とする児と関わると、このいのちの重さを痛感する。1日1日がいかに大切かを教えられる。自分が悩んでいることがとても、ちっぽけなことに思えてくる。二人の分までしっかり生きなきゃと強く感じさせてくれる。


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    第八回 小林不二也さんのコラムを紹介します!

    カテゴリー │小林不二也さんのコラム

    静岡新聞のコラム
    「窓辺」 
    文/小林不二也

    重症児者通所施設でらーと




    第八回 
    「ぞうさんだより」に想う


    在宅医療ケアのある子をもつ親の会「ぞうさんの会」から会員に送られるたよりが届きました。この便りを読んでいて改めて、気づいたことを記す。この会の会長さんが会員の様子や声をまとめた内容が中心となっているが、新たに3名の新会員が写真入で紹介されていた。紹介はそのお母さんが自らの家族の様子を書いたものであるが、写真や記載している様子からもみな最重度でまだ学齢前なのに、何度も死のふちを乗り越えてきたことが容易に想像できる状態のお子さんでした。
     いずれのお母さんの文章からも共通に感じられたことが、生きることへの謙虚さと周囲への感謝とお子さんへの限りない愛情でした。これらの姿勢はどこから来るのだろう?間違いなく、生後まもなくから重い病気や障害と闘いながら「明日もう1日、元気でいてほしい」「明日は今日よりもよくなってほしい」と願い続けて、支えた活動からだと感じる。その親子の願いを身近で接する医療職・福祉職・友人・親戚がその姿勢に心打たれて、つながっていく。この力の源は、重い障害をもつ本人が呼び起こしていることに気づかされる。私の施設の親さんたちの力強さにも、いつも驚かされているが、「やっぱり共通なんだ」と知らされた。この力が日本中に広がればすごいことになると想うのは私だけでしょうか。




    第七回 小林不二也さんのコラムを紹介します!

    カテゴリー │小林不二也さんのコラム

    静岡新聞のコラム
    「窓辺」 
    文/小林不二也

    重症児者通所施設でらーと





    第七回
    インクルーシブ教育


    「障害の有無に関わらず誰もが地域の学校で学べる教育」という意味だが、私はこの言葉を「線引きをしない教育」と理解している。
    重度の障害を持つ我が子を、地域の学校に入学させたいと頑張っている保護者がいるが、なかなか実現しない。理由は、その子にあった授業ができないとか、設備が不十分とか、いろいろ言われているが、結局は今の通常の学校教育では彼らを受け入れる理念が不足しているのだと思う。
    想像してみてほしい。通常の学級に寝たきりの重症児がいるとする。「難しいだろう」という声が聞こえてきそうだが、私はとても良いと思う。
    例えば、先生が生徒に集まるよう指示を出せば、数秒間で整列するのが今の現場だろう。ここに寝たきりの重症児がいたら?その子は指示に従い、自力で移動することはできない。この時、クラスメートはどのように動くだろうか?
    この指示一つとっただけでも、いろいろな学びの場面が想像できる。学校が、社会に出て生き抜いていくための学習をする場所だとしたら、いろいろな人がいて当然だし、多様な人から学ぶことこそ大切だと思う。
    学力や能力で線を引いて「できる児」を育てるだけが教育ではないはずだ。人は一人一人みんな違うもの。クラスに重症児がいたら、そんな当たり前のことが日常的に感じられる。こんな経験をした子どもが社会に羽ばたけば、少しずつ社会が変わっていけそうな気がする。

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    第六回 小林不二也さんのコラムを紹介します!

    カテゴリー │小林不二也さんのコラム

    静岡新聞のコラム
    「窓辺」 
    文/小林不二也

    重症児者通所施設でらーと





    第六回
    障害者への理解


    障害者施設の多くは、人里はなれた山の中にあります。障害者は山の中でひっそり暮らしていたほうが幸せだと考えられていたと思われます。厚生労働省はここ数年「施設から地域へ」と施策を大きく転換しています。具体的には、これまでの大規模な入所施設ではなく、グループホームなど数名の共同生活を住宅地に求めることを推し進めていますが、地域の反対と無理解でなかなか進んでいないのが現状です。障害者が共同生活をするグループホームを作るとき、地域の住民に説明会を行い、理解を求めることになっています。これは変な話ですよね。たとえば、大学生がルームシェアで何人かで共同生活するのに、地域住民に理解を求めるための説明会をするでしょうか?
     障害者は健常者に比べて圧倒的な少数派です。身内に障害者がいない人は、障害者を身近に感じる機会はまず無いでしょう。知らないことに対する抵抗感が働いているのだと思われます。私は反対する住民を批判する前に、私たち(本人・家族・関係者)がもっと自然に社会に知ってもらう努力をしなければいけないと感じています。ハンディキャップを持ちながら、懸命に生きる彼らに常に接して、彼らの魅力を感じている私たちがしっかりと語り、障害のことを知らない多くの人との通訳者のような役割を果たしていくことで、共生社会は実現すると確信しています。でら~とのある広見地区の皆さんのように。


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    第五回 小林不二也さんのコラムを紹介します!

    カテゴリー │小林不二也さんのコラム

    静岡新聞のコラム
    「窓辺」 
    文/小林不二也

    重症児者通所施設でらーと








    第五回 
    福祉の仕事の社会的評価


    福祉の仕事について10人中10人が「大変な仕事だ」と評価する。それなのに、福祉の仕事に携わる職員の賃金は全体的にとても低い。なぜだろう?
    人間が生きていくことを直接支える仕事。人生を支えると言っても過言でないほど大切な役割を果たしているのに、他の仕事よりも賃金が低い理由は何か。
    理由の一つは、人助けは金銭の見返りを求めずに善意で行うもので、金銭による評価はむしろその善意を踏みにじることにつながるという誤解だ。
    二つ目は、膨れあがる社会保障費の問題。福祉従事者の賃金の出どころとなる社会保障給付費は、少子高齢化で増加の一途をたどっている。この主な財源は国民の血税。福祉従事者の賃金上昇のために社会保障費を増やすことは増税につながるため、反発する人も少なくないはずだ。
    いずれにせよ突き詰めて考えれば、福祉の仕事の賃金は、この仕事の専門性を社会がいかに評価しているかの反映だと思う。善意で行う人助けと、専門職としての福祉の位置づけが、社会で混同されているために職業としての福祉がきちんと評価されず、現場の待遇はなかなか改善されないのではないか。
    物が豊かになることは素晴らしいことだが、社会的弱者を含む全ての人の幸せも大切なことだ。ものづくりと同様、福祉の仕事も正当に評価されるべきなのに、社会ではこの認識がいまひとつのように感じられる。
    この価値観を変えられる日は来るのだろうか・・・。


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    第四回 小林不二也さんのコラムを紹介します!

    カテゴリー │小林不二也さんのコラム

    静岡新聞のコラム
    「窓辺」 
    文/小林不二也

    重症児者通所施設でらーと




    第四回 
    「親亡き後」という言葉


    この言葉は、障害福祉の現場でよく耳にする。障害と無関係な家族で使われることはまれだろう。これは、障害児を産んだらその親が死ぬまで責任を持つことが前提という意味の込められた言葉だ。「自立」とは真逆の言葉と言っても過言でない。
    日本の障害福祉の歴史は差別と偏見との戦いだった。若い人は聞いたこともないかもしれないが、「座敷牢」という表現がある。障害児を家の一室に隠し、近隣に存在を気づかれないよう生活させていたことを表していて、まさに悲惨な歴史の象徴だ。
    「親亡き後」を心配する障害者の親はいまだに多い。だからこの言葉が多用されるのだが、私たちはこの言葉を使うことを恥ずかしいと思わなければいけない。
    特別支援学校が義務化され、学校教育で社会に巣立つ力を養っている。どんなに重い障害者でも、親の人生とは別の人生を描ける社会にしなければならいない。私たち福祉関係者はそれを社会に訴える立場。それなのに、この言葉を使っているのはとても悲しいことだ。
    この言葉は、日本の障害者福祉がまだまだだと裏付けてしまっている。どんなに重い障害があっても、普通に生きていける社会が実現すれば、この言葉は死語となるはずだ。その日が訪れることが、本当に豊かな社会の実現の第一歩なのではないだろうか。


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